大変おせわになり ありがとうございました

先日、学が家からとびだし、居所がわからなくなった時には、大勢の皆さんに言葉に尽くせないほどのお世話になり、本当にありがとうございました。学校のみんなも心配して探してくれました。ありがとう。

おかげさまで、無事保護され、風邪や傷もほとんど良くなり、月曜日から登校しています。

1月30日の夜10時ごろでした。家中、二重にも三重にも鍵がつけてあるのですが、たったひとつ、しっかりと掛かりきっていなかったところを見つけ、そこから出て、私達が二階で寝ているものと思っている間に、笹川通りをどんどん西へ進んでいったようです。

その夜のうちにミルクロードを横切って、宮妻峡へ行く途中にある東名阪をまたぐ橋までたどり着いたのだと思います。

そこは足元を東名阪の車が夜通し走り、車の好きな学にとってこれ以上ない好みの所でした。少し道から外れると、民家も無く、雑木林に囲まれ、枯草が積もっていたり、お茶畑にわらが敷いてあったりして、寒さや冷たさに強い学にとって車の魅力の方が勝ったようです。

捜索の皆さんも可能性が高いということで、この辺りは非常にたくさんの人が時間をかけて探してくださったのですが、夜は雑木林の辺りは見当もつかず、昼間はぽかぽかと暖かかったので、雑木に囲まれた枯草の上で学は昼寝をしていたのかもしれません。

親の私は学をみくびっていて、せいぜい現場のひとつ手前の地区、小林町までだろうと、家からそこまでをあぜ道のひとつ、倒木のひとつも覚えてしまうほど探したのですが、そこから先は車でした。

二度目の夜が明けるころには雨が降り出しました。それでも学は車を見ていたようで、お昼頃になってようやく、おなかもすいたし、雨がうっとうしいということで人の気配のする畑へ出てきたようです。

この畑の方は鈴鹿の方ですが、他のところで、学のチラシを受け取っていたということですぐ、学だということが分かったそうです。

それも本当にたくさんの方が、用や仕事があるのに、暗闇の中、寒さの中、雨の中を学のためにチラシ配りや捜索をしてくださったおかげです。今回、人の暖かさを十二分に知りました。

ご心配いただいた方々にお礼と報告をさせていただいていますが、まだご存知ない方がみえましたら、ぜひお伝え下さいますようお願いします。

ありがとうございました。    二月六日    斉藤学、父、母

 

2001年1月10日

外は寒い風が吹いているが、スクールバスの中はほかほかと心地よい。
うとうと、あるいはぐっすりと眠るには最高だ。犬小屋の屋根にも勝る。
しかし、時がくれば無情にもドアが開き、マネージャーが顔を出す。
粘っていると、バスのおじさんがうでをひっぱり、
マネージャーがシートにはりついているぼくの足やおしりをひっぺがしにかかる。
「まけてなるものか・・・」

2000年12月9日

我が家は通りから入り込んでいるので車が見えない。
こんなつまらない人生をすごしていていいのだろうか。
犬小屋の屋根に上がると、通りの車が見える。くたびれると屋根の上で寝転ぶ。
この状態をうちのマネージャーは“スヌーピーな学”という。
この至福の時間を経験しようとしないものはふしあわせだ。